納得解を得るために…
今日は、これまでの経験と今日の経験から大切だと感じた、納得解を得ること
について書きたいと思います。
生活をしていると様々な問題・課題に直面します。僕の場合は、自分の将来と健康管理についての課題が多いです。具体的にその問題を書きます。
僕は、(昨日の記事でも書きましたが)2年程前から体調を崩し、精神科に通院しています。PTSD、不安障害、うつ病と診断されています。2週間程前まで入院もしていました。大学で2週間に1度位の頻度でカウンセリングも受けています。
ある医師は、「筋トレのように限界よりも少し頑張ることを続けて対応していこう」と、又、ある医師は「就職やそれに伴う勉強は一切せずに休むことを優先し大学を卒業することだけを目標にしよう」とアドバイスを下さいます。
僕は、前者の方の意見を優先し毎日を過ごしていましたが、結局体調を崩し入院する状態になりました。入院中は、後者の意見を優先しあらゆる勉強をせずニュースも敢えて見ずに情報を遮断し休むことに専念しました。
どちらの方法も実践しましたが、現在体調が悪く、考えても正解のない「なぜ生きてるのだろう」という問いを無意識にしてしまいます。そして、今日も心がぎゅっと潰されたような苦しい感覚に一日中襲われています。現在の状況を踏まえてみて、2人の医師がおっしゃっていた事は、どちらも大切だと思いました。
ただ、僕はこの経験から、両者の意見を参考にして自分で決断をするのではなく少しそれらの意見に乗っかっていたような感覚があったような気がしました。
この事実に気づいた時、両者・他者の意見を踏まえた上で自分はどうするのかを、
自分の選択に自分で責任を負うと考え行動することが重要なのだと気づきました。これは当たり前のことかもしれませんが、僕にはできていませんでした。
「自分は〜に思うから〜するんだ」という自分なりの納得解を得て行動することの重要性を感じ取りました。
故に、その納得解を得るために、正解がない問い対して、あらゆる選択と可能性を熟考し、推察に推察を重ねて粘り強く行動することをやっていきたいと思います。
今日もしんどいながら、全力で問題解決にあたったことに関して自分を褒めたいと思います(^o^)